かってにLFJを総括してみました
昨年の今頃に、ラフォル07の民族のハーモニーで、いったい、ベートーヴェン、モーツァルトと同じような成功がくるのだろうか?というようなことを話した覚えがありますね。
結果を総括すると、ラフォルの民族のハーモニーは、いわゆる、クラシック初心者に門戸を開くといううたい文句を、決して、いつもの日本でのそれのように安易に妥協していないです。
ドヴォルザークの第7、第8交響曲はたしか、演奏されず、チャイコフスキーの第4、第5、第6交響曲も演奏されませんでした。かわりに、いろいろな民族のほとばしりを聞かせてくれたところに真骨頂がありました。
さらに進めると、どうも、LFJ07は、ドイツオーストリア系を完全に排除し、さらには、イタリア系も排除した
ドイツイタリア以外のクラシックという点でもユニークでした。作曲家の青島氏の著書によると、それぞれの民族には、
族固有の民謡があり、古典派がなかった国々の作曲家は、範を、古典派にとることなく、むしろ、民謡にとったということです。ということであれば、ドヴォルザークもスメタナも、非常にある地域の民族的色彩を色濃く反映しているということがわかりました。こういう話を、演奏会と演奏会の合間に、ラフォルのベンチで話をし、夜のとばりがおりてきました。そこで、ぼくらも、展示ホールモルダウで、スメタナ 売られた花嫁序曲やドヴォルザークのスラブ舞曲を演奏したわけですが、正直なところ、スメタナなど、メロディーの部分と、そうでない、合いの手のような、演奏する側にはあまり面白くない、しかし、難しい箇所が延々と続いていて、やはり、モーツァルトとかベートーヴェンとかの、弾いていて副旋律でさえも、「とてもきれいだな」と思うようなところが希薄でした。ビゼーの交響曲ハ長調は音楽記号表記の解釈が、あまりにも、普通ではなく、もっとずっと、セッコ(secco装飾的要素の伴わない)でピュー(piu もっと多くの)であるという、今までにない体験をしたようにも思いました。
| 固定リンク





コメント