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2007/05/21

カラスミのパスタを調理し食す

日曜夜、ボッタルガ(イタリアのカラスミ)のパスタを作りました。平打ち麺に、オリーブオイルのいいやつと、唐辛子とで
味をなじませ、そこに、パウダーのボッタルガをふりかけただけです。ボッタルガのパウダーというのが、売っていたのです。そういえば、カラスミハ、イタリアでは、ぼらだけでなく、まぐろでもボッタルガといいます。其のあたり厳密でないのです。隠し味に、アンチョビを、オリーブオイルに入れてみました。意外や意外、少しだけですが、魚の香りのする、正真正銘のカラスミのパスタが出来上がりました。Bottaruga

2007/05/16

かってにLFJを総括してみました

昨年の今頃に、ラフォル07の民族のハーモニーで、いったい、ベートーヴェン、モーツァルトと同じような成功がくるのだろうか?というようなことを話した覚えがありますね。

結果を総括すると、ラフォルの民族のハーモニーは、いわゆる、クラシック初心者に門戸を開くといううたい文句を、決して、いつもの日本でのそれのように安易に妥協していないです。
ドヴォルザークの第7、第8交響曲はたしか、演奏されず、チャイコフスキーの第4、第5、第6交響曲も演奏されませんでした。かわりに、いろいろな民族のほとばしりを聞かせてくれたところに真骨頂がありました。
さらに進めると、どうも、LFJ07は、ドイツオーストリア系を完全に排除し、さらには、イタリア系も排除した
ドイツイタリア以外のクラシックという点でもユニークでした。作曲家の青島氏の著書によると、それぞれの民族には、
族固有の民謡があり、古典派がなかった国々の作曲家は、範を、古典派にとることなく、むしろ、民謡にとったということです。ということであれば、ドヴォルザークもスメタナも、非常にある地域の民族的色彩を色濃く反映しているということがわかりました。こういう話を、演奏会と演奏会の合間に、ラフォルのベンチで話をし、夜のとばりがおりてきました。そこで、ぼくらも、展示ホールモルダウで、スメタナ 売られた花嫁序曲やドヴォルザークのスラブ舞曲を演奏したわけですが、正直なところ、スメタナなど、メロディーの部分と、そうでない、合いの手のような、演奏する側にはあまり面白くない、しかし、難しい箇所が延々と続いていて、やはり、モーツァルトとかベートーヴェンとかの、弾いていて副旋律でさえも、「とてもきれいだな」と思うようなところが希薄でした。ビゼーの交響曲ハ長調は音楽記号表記の解釈が、あまりにも、普通ではなく、もっとずっと、セッコ(secco装飾的要素の伴わない)でピュー(piu もっと多くの)であるという、今までにない体験をしたようにも思いました。


2007/05/10

LFJからハルサイまでフランス音楽をハシゴ

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(LFJ07)をきっかけに、LFJで、ラフマニノフ:ロマンスとスケルツォ、チャイコフスキー:フィレンツェの思い出(オーヴェルニュ室内管弦)、ラヴェル:vnソナタ(パスキエ演奏)、vnとvcのためのソナタ、フォーレ:ピアノトリオ、シャブリエ:田園組曲、ビゼー:交響曲ハ長調、サン=サーンス組曲:「動物の謝肉祭」、サン=サーンス:ベートーヴェンの主題による変奏曲、ビゼー:小組曲「子供の遊び」、サン=サーンス:vc協奏曲第1番、フォーレ:「レクイエム」と聴き、しまいには、チョン・ミョン・フン指揮フランス新国立放送フィルハーモニー(これだけは、LFJ07でなくツアーの日本公演東京オペラシティ)で、フォーレの「ペレアスとメリザンド」、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲、そして、ストラヴィンスキー:バレエ組曲「春の祭典」と1週間になんと13曲、そのほとんどがいわゆるフランスもの、あるいは、フランスのオケが演奏する「ロシアもの」、あるいは、フランスで人気が高いロシアものを聴くことになってしまいました。今も頭の中で、音楽が鳴門の渦状態のままであります。せっかくなので、フランス音楽についての感想をまず記しておきます。日本では、フランス音楽は、ドイツものに比べると、あまり多くは演奏される機会がありません。その中で、フランスものを、ざっくり語ってしまうと、幼少時に、それまでチャーハンしか食べたことのない僕が、初めて、セロリやピーマンの青くささの入ったピラフを食べたときの、口の中に初めて味わう一種独特の西洋くささと、どこか、似ていなくもないと思います。つまり、今まで考えてきた、日本の音楽の聴き方というのは、音楽はドラマであり、演奏家の一挙一動に注目して、音楽を分析して見せ、その分析的な巧みさに拍手を送る・・・といったような、日本流の音楽の聴き方では、さらさらなくて、まずは、今回のフランスものをフランス演奏家たちから受けた印象では、まずもって、大掴みで、音楽のなんたるかをつかんでしまい、しかる後に、細部の1つ1つにまで気を配るという方法が、フランス音楽なのかもしれません。チョン・ミョン・フンの「ハルサイ」はまさに、それを代表するような演奏でした。
「ハルサイ」のもつ、バルバリズム(野蛮主義)とか、ひとつひとつの、楽器のみせる、「ドラマ」みたいなものに、今まで、ぼくは、フォーカスをあてすぎていて、この曲全体のもつ、「春を迎えたときの、木々の動物たちの喜び」みたいなものをおろそかにしていたような気がします。それは、大げさですが、日本の文化の陥っていた一点豪華主義、なるだけ多くを曲から味わってしまいたいという珍奇なものへのこだわり、欲求みたいなものとちがって、どこまでも、透明感を保ちつつも、全体の中での、個々の役割。こうしてみると、個がおろそかになっているわけではなく、全体のトーンは統一され、その中で、たとえば、冒頭のfgのどこまでも、クレッシェンドを強めていけるような余裕感や、tim奏者の、ひとつひとつの音楽を大事にした、決して、独りよがり、中での個性の発揮や、
めまぐるしいリズムの中で魅せる、金管楽器間をつないでいく、きらめき感に現れていたように思います。
フォーレの「ピアノ・トリオ」や、「ペレアスとメリザンド」や、「レクイエム」は、全部、個の音を大切にするものの、全体のトーンの統一なくしてはなし得なかった偉業であり、それは、いわゆる、ひとり芸が合わさった室内楽ではなく、トーンの統一があってこそ、はじめて室内楽といえるものを感じました。
中には、「レ・シエクル」というまだとても若い演奏家たちのアンサンブルもあったのですが、彼らにとってさえも大切にしているのは、弾く喜び、アクセントとか強弱記号そのものが大事なのではなく、音楽の長いフレーズ感の中でそれを大事に培っていく喜びを感じたのでした。1178672318_2

2007/05/01

1日だけの中華そば

Taishouken1
「お茶の水大勝軒」に、30日1日限定95年大勝軒レシピの中華ソバを作るというので、試食してきました。スープの最終チェック。店長が、にんにくひとかけと、長ネギを1本入れるように指示。スープの味を細かく調整していきます。そしてほどなく出来上がった中華そば。それは、いつもと、微妙ながら味のちがう、バラエティをみせたものに仕上がっていました。いつもより、鰹の香りがストレートに丼から漂ってきており、あっさりしている。本当はかわっていないのに、なんだか麺の太さも幾分細く感じられ、茹で上がったメンマの仕上がりもジューシー。さらっとしていながら、いいスープで、ストレートでいながら、味が広がる感じでした。やはりラーメンはバランスが大事だというのがよくわかります。このレシピだと、すぐにスープの味が変わってしまうので、15分ごとにスープの味をチェックする必要があるそうです。いつもスープは美味しいのだけど、ラーメンには少し豪華な味すぎると思っていた私には、とてもちょうどよい美味しさでした。
本来は今日はお休みなのです。3時ごろにお店に着くと、すでに、閉店、200食は瞬く間にはけてしまった様子。いつもの常連ということで、まかないということでいただくことに。大勝軒の親父さんが、倒れる前と後で、スープの作り方が異なっているそうで、きょうのは、倒れる前出していたスープとのこと。このラーメンをスタッフで店を閉めて、試食、まかないしていた席に同席させてもらった私は、この店の研究熱心なことに改めて、嬉しい思いをしたのでした。 Taishouken2

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